愛情と渇愛

私は自分自身が抱える悩みや不安に対処する手段として、以前から仏教の智惠を活用してきました。

最近、一般人向けの本がたくさん出ているので、読んでいる方も多いと思います。

この記事の最後に、私が何度も読み返している本をご紹介します。

 

それで、チビが亡くなった後、悲しみや寂しさに翻弄されている私ですが、ふと気がついたことがあり、その気づきを得たことで、すごく心が楽になりました。

私の個人的な解釈で、仏教の教えとは違っているかもしれませんが、一つの見方として参考になるかもしれないので、まとめてみます。

 

寂しさは渇愛?

仏教では、何かを求め続ける心を渇愛と表現します。

何かというのは、自分にとって快となるものですが、違う言い方をすれば欲望です。

欲望を求めれば、叶う時もあれば叶わない時もあります。

叶わない時には、当然、不満、失望といった感情が生まれます。

叶えば、喜びが生まれますが、そこで満足することはなく、『もっと』とさらなる欲望が生まれます。

欲望が叶い続けることはないので、結局は不満、失望にぶち当たることになります。

 

求め続けて、いつまでも渇いている、満たされない心

 

だから渇愛というわけです。

 

ちなみに仏教では、これは人間の心の自然な仕組みであり、渇愛は避けられないとしています。

 

でも、心とはそういうもの=求め続けるものと理解したうえで、心の渇きの正体が分かれば、自然にその状態から抜け出せると説いています。

 

そして、その原因は自分の欲望にあるので、どんな欲求に自分が突き動かされているかを知ることが重要ということです。

 

前置きが長くなりましたが、私はチビの死を悲しんでいる状態を渇愛とみた時、どんな欲求があるのか考えてみました。

 

そこでわかったのは、自分に愛情を注いでくれる存在、かつ自分が愛情を注げる存在を失うことの恐怖や不安でした。

こう書くと、当たり前と思えるかもしれませんが、ここでのポイントは、私は自分の都合で考えているということです。

 

分かりやすいように、あえて過激な書き方をしますが、愛情が欲しいという自分の欲求を満たしてくれる便利な存在がなくなって、嫌だ!欲しい!と嘆いているということです。

 

全ては自分の欲求ベース、自己都合です。

チビに対する思いやりはありません。

だから苦しいわけです。

 

このあと詳しく触れますが、チビに対する思いやりが基本にあれば、苦しみや悲しみが生まれることはありません。

 

自分にとって、都合が悪いことが起こって哀れんでいる。

そのうえ、あろうことか、生き物は必ず死ぬ、過去は変えられないという、世の中の理にまで文句をつけてる。

 

それが苦しみの正体です。

ここまで認識した時、苦しさがスーッと消えていきました。

 

慈悲=無償の愛

私はチビに対して、自分本位の欲求を持っている。

これは事実ですが、その一方で、チビのためなら、どんなことでもしてあげたいという気持ちが存在します。

 

ここに見返りを求めるような心はありません。

親が子供に注ぐ無償の愛情と一緒です。

 

仏教では慈悲と言いますが、慈悲の心が、私のなかにもあります。

そして、これは究極的には、チビに幸せになってもらいたいということですから、それをいかに実践するかということになります。

 

ここからは、私が読んだペットロスに関する本の受け売りですが、三つの方法があります。

 

  1. 感謝の気持ちを伝える
  2. 幸せになっている姿をイメージする
  3. ペットの死から得た学びを実践する

 

1は『ウチの子になってくれてありがとう』、『いつも、そばにいてくれてありがとう』など、ありがとうの言葉をいっぱい投げかけることです。

 

2は『天国で元気に走り回っている』、『虹の橋で笑顔で座っている』など、その子が幸せな状態をイメージして、そんな状態でありますようにとお祈りすることです。

 

3は、私自身の実例で言いますが、私がチビから得た学びは無償の愛です。

チビは私を無条件で受け入れ、信頼してくれました。

 

『俺みたいな人間を、そんなに信頼しちゃいけないよ』と、あまりもの純粋さに、心が苦しくなるぐらいでした。

そんなチビに影響されて、私自身もいつの間にか、チビのためならと、自分も無償の愛を持てるようになっていました。

そして、無償の愛の素晴らしさに気づくことができました。

今では、チビは愛の素晴らしさを教えるために、私のところに来てくれたんだなと思っています。

 

では、その教えを受け取った私は、どうすべきか?

見返りを求めず、人のために行動することが、チビへの最大の恩返しになると考えました。

 

その気持ちから立ち上げたのが、このブログです。

アクセスを稼いで広告収入を得ようとか、あわよくば商業出版しちゃおうとかいった気持ちはまったくありません。

 

このブログを読んで、ペットロスで苦しんでいる人が一人でも救われたらという想いで運営しています。

つたないブログなので、どこまで貢献できるか微妙なところですが、少なくても、自分にできる精一杯を尽くします。

 

もう一つ、おそらく、今年の秋には日本に帰ることになるので(コロナ次第ですが)、帰国したら、一時里親など、不幸な動物を助ける活動に携われたらとも考えています。

 

それで・・・

 

ここから重要なことなのですが、こんなふうに、見返りを求めずチビのため(誰かのため)の行動を取っていると、自分自身の心が幸福感で満ちてきます

悲しさや苦しさはありません。

 

そして、何よりも、チビと一緒にいる感覚が強くなります。

ビジネス的な言葉でいえば、チビと一緒に共同プロジェクトを推進しているといった感じです。

チビと何かを創り上げているというイメージですね。

一緒にいるのですから、寂しいわけがありません。

 

渇愛と慈悲の区別

長くなってしまったのですが、ここまでの話を整理すると、いっけん、チビのことを想っているようでも、その実情は自分の欲がベースの渇愛と、相手を思いやる心がベースの慈悲に分かれます

 

そして、渇愛で行動している時には苦しみがあり、慈悲で行動している時には幸せがあります。

 

今の私は、寂しさや苦しさを感じた時には、自分勝手な欲に惑わされていると判断して、チビの幸せ、ほかの人や動物の幸せを祈るようにしています。

 

そうすると、苦しさが消えて明るい気持ちになり、前向きな気持ちで行動できるようになります。

 

今では、チビの死を悲しむのは、自分のことを哀れんでいるだけで、ぜんぜん、チビのためになっていないと考えられるようになり、すぐに気持ちを切り換えられるようになりました。

 

チビからしてみても、めそめそ悲しんでいるよりは、それまでの楽しかった生活に感謝しつつ、前向きに行動している私の姿を見ているほうが嬉しいでしょうから。

 

『チビのおかげで、こんなに自分が成長できた』
『チビのおかげで、世の中に貢献することができた』

 

天国にチビに再会した時に、こうやって報告できるように生きていくつもりです。

どんなダメな飼い主でも受け入れてくれるのがチビですが(笑)

 

補足1

この記事を読んで、悲しんだらいけないと思われる方もいるかもしれませんが、これは時期によりけりだと思います。

パートナーが旅立った直後は、こんな理屈なんかどうでもよくなるぐらい、悲しくて涙がでてくるはずですが、それは素直な感情なので、いっぱい泣いてください。

私も泣きまくりましたし、その時は、頭では理解しつつも、こんなふうには頭を切り換えられませんでした。

だいぶ気持ちが落ちついて、また前に進もうと思うんだけど、でも、悲しみや苦しみが消えなくて、心がモヤモヤしている。

これぐらいの段階まで進んだ時に、こんな考え方をしてみるのもいいのではと思います。

 

補足2

この記事の内容ですが、下記の6冊で学んだ内容がベースになっています。

  1. 反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
  2. これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活
  3. 怒らない練習
  4. ありがとう。また逢えるよね。 ペットロス 心の相談室
  5. ペットがあなたを選んだ理由―犬の気持ち・猫の言葉が聴こえる摩訶不思議
  6. 続 ペットがあなたを選んだ理由―なぜ、ペットを失う苦しみがあるのか?

 

4~6はペットロスをテーマにした本で、とても参考になりました。私の記事よりも分かりやすく、心にすっと入ってくるメッセージがたくさんあるので、ペットロスに苦しんでいるようでしたら、ぜひ手に取ってみてください。

また、ペットロス 心の相談室の著者である横田さんが住職を務める長福寺の公式サイトにあるコラムも、すごく心の支えになりました。いっぱい泣かせて頂きました。