8月3日は、チビの四十九日
この日、新潟のペット霊園ソウルメイト 長福寺の住職、横田さんにお経をあげて頂きました。
LINE通話で対応してくれるので、海外にいながらでも大丈夫です。
ペットロスカウンセラー資格のある、 動物大好きな僧侶によるペット霊園です。
さて、チビが天国に旅立ってから7週間。
だいぶ日常生活が戻ってきて、あまり悲しくなることもなかったのですが、今日は朝から憂鬱でした。
それは、自分のなかで、今日が一区切りと考えていたから。
気持ちを引きずるのはいけないだろうと思い、四十九日で一端終わりと決めていました。
何を持って終わりというのは説明が難しいのですが、気持ちの問題です。
でも、それが逆に、今日でチビとお別れという感覚が強くなり、気持ちが暗くなってしまいました。
そんな状況のなかで、お経をあげてもらったのですが、始まった瞬間、号泣。
まさか、こんなに泣くとは思ってもいませんでした。
横田さんに、『チビちゃんと出会った日から、これまでのことを思い出しながら聞いてください』と言われて、昔のことを思い出していたのですが、思い出せば思い出すほど涙が出てきます。
ふと横をみると、妻も号泣モード。
時間が経って、だいぶ気持ちが落ちついたと思っていたのですが、ぜんぜん、そんなことなかったんですね。
気持ちを押さえ込んでいただけなのかもしれません。
そして、お経をキッカケに、その気持ちが一気に溢れて出て、それが涙になったような気がします。
良い区切りになりました
でも、泣くだけ泣いたら気持ちがスッキリして、憂鬱感はキレイサッパリ消えました。
そして、チビに対する感謝の気持ち、一緒に過ごして楽しかったという気持ちに包まれて、幸せな気分になりました。
この日記を書いているのは、四十九日から5日後なのですが、この日の号泣をキッカケに、明らかに私の精神状態は変わりました。
本当の意味で、チビの死を受容できたというか、冷静に考えられるようになりました。
それまでは、チビの最後の瞬間、闘病中の姿を思い出すと、悲しみで心がいっぱいになったのですが、それらも驚くほど、冷静に振り返られるようになりました。
でも、楽しい記憶は、より鮮明に思い出せるようになったので、チビのことを考える時間は、ほぼ100%至福の時間となりました。
(寂しいとか、もっと一緒にいたかったという気持ちが、ちょっとだけ混じっています。)
こんな気持ちになれたのは、横田さんから、こんなことを言われたからです。
- チビちゃんは仏様になりました
- 仏様になったチビちゃんは、守護者となって、ご家族のみなさんを守ってくれます
- これから良いことがあったら、チビちゃんが起こしてくれたと思ってください。それは飼い主さんの喜ぶ顔を見たいからです
- これから悪いことがあったら、もっと悪くなったかもしれないけど、チビちゃんが食い止めてくれたと思ってください。それは飼い主さんの悲しむ顔を見たくないからです
- チビちゃんは仏様になったので、好きな時に好きな場所にいけます。飼い主さんのもとに来ることもあるので、感じ取ってあげてください
チビが仏様になる
これが、妙に腑に落ちました
チビが仏様のいる天国に登っていく姿、仏様になった姿というのが、鮮明にイメージできました。
その姿をライブで見ているような感覚になるぐらい、現実感のあるイメージです。
守護者になって私達を守ってくれる、いつでも私達のところに来るというのも、現実の話としか捉えられなくなりました。
気まぐれで偉そうな仏様で、俗まみれの悪僧みたいなイメージが出てしまうのですが(^_^;)
この数日間でも、チビの存在を感じることがあります。
姿が見えたとか、モノが動いたとか、ドラスティックなことはないので、そこは残念なのですが、ふと『アレ?』と思うことがあります。
実は、今この瞬間も、何気なく後ろを振り返ったら、チビが座って笑っているイメージが浮かびました。
私は現実主義者で、こういった話は、まず疑いから入る人間なのですが、そんな私でさえ、確信してしまうのだから、やっぱり何かあるのだと思います。
いずれにしても、チビが近くにいると実感できるので、寂しくなくなったというのは事実です。
今の心境
チビは享年、10歳11ヶ月。
犬の寿命が延びている今の時代、天国に帰るのがちょっと早いのですが、それでも、これが定めだったのかなというのが、正直な気持ちです。
こうすれば、ああすればというのは幾らでも思いつきますが、時間を巻き戻せたとして、どうなるかと考えると、やっぱり同じことになったのかなと。
そして、チビが亡くなってからの7週間を振り返ると、実はこの時間は、とてつもなく貴重な時間でした。
人生の中で、これだけ自分が本気で生きた時間もなかったのではと思います。
チビのことだけでなく、自分自身の人生、今後の生き方についても、真剣に考えました。
50近いおっさんですが、これまでの人生で、一番学びが大きく、成長した7週間だったかもしれません。
そして、人生に真剣に向き合うという姿勢は、今後もなくならないと思います。
チビのことを思い出すたびに、マジメに生きなければという気になるからです。
こう思うと、チビの死は、彼からのギフトだったのかなとしか考えられません。
チビが自分の命をかけてまで、私にくれた学びの機会だったのかなと・・・
そう考えると、やっぱり、この出来事は定めで変えることはできないんだろうなと思います。
変な結論と思われてしまうかもしれませんが、私にとっては、これも心から腑に落ちることです。
だから、寂しさや悲しさもある一方で、受け入れられることがあります。
有り難さやチビからの愛情も感じますしね。
生前、チビはけっこう生意気な犬で、特に妻に対しては、下に見て要求吠えをすることが多く、冗談で『チビ様』と呼ぶことがありましたが、今は本当に『チビサマ』です。
(チビ師匠とも呼べるのですが、チビサマのほうがしっくりきます。)
チビは本当に私の先生です。
先生に教わったことを胸に生きていかなければいけないと思います。
仏教の智惠は活用していいと思います
グタグタと書いてきましたが、最後に一つだけ。
ペットロスの悲しみに対処する方法として、仏教の智惠というのは、スゴく活きると思います。
つい最近、読んだ本に書いてあったのですが、日本人は、ほかの国の人と比較しても、大切な人を失った悲しみから立ち直るのが早いのだそうです。
これはアメリカの心理学者が研究した結果です。
その理由は仏教には、故人を振り返る機会がたびたびあるからだそうです。
私も今回、チビを失うことで初めて知ったのですが、仏教の法要はこんなふうになっています。
仏教の追弔法要
初七日
二七日
三七日
四七日
五七日
六七日
初七日は亡くなった日から7日後に行われる法要、その後は、7日ごとに法要が行われます。
だから、二七日は27日ではなく、2日目の7日=14日後という意味です。
そして、七回目の七日=七七日が四十九日です。
50年近く生きてきて、初めて知るというのも情けない話なのですが、知ってみると、すごく良く出来ています。
私はこの法要のタイミングに合わせて、チビへ手紙をかきました。
その時点での思いの丈を書き殴りました。
最初は悲しさや後悔であふれていましたが、書き進めるにつれて、受容する気持ち、感謝の気持ちがでてきて、心が落ちついてきました。
そして、四十九日となり、本当に気持ちの踏ん切りがつきました。
私の心の中は、チビとの楽しかった記憶で満ちていて、たまにスキマに悲しい気持ちが入ってくるというかんじです。
冷静にみて、ペットロスから立ち直ることができたと思いますが、これって、多分、追弔法要をキチンと行っていたからです。
チビと向き合うことを続けたからこそ、気持ちの整理ができたこと間違いありません。
逆に言えば、これだけ向き合えば、人は大切な存在を亡くした悲しみを整理できるということで、こういった法要が用意されているのでしょう。
仏教の智惠には驚かれます。
昔から続いていることには、それだけの意味があるんだなと、つくづく実感しました。
そして経験者としては、ペットロスに苦しんでいる人には、この智惠を活かしてほしいなと思います。
悲しくて何もやる気が起きない時ほど、何かのルールに自分を縛って、無理に行動したほうが前に進めますが、そのルールとして仏教の教えというのは、なかなか有効と感じます。
今は、ペットの供養を行うお寺が増えていますが、なかには飼い主の悲しみにつけ込んで、大金をせしめようという悪徳な人も、残念ながら存在するようです。
冷静であればバカみたいと思うようなことでも、大切な我が子を失って嘆き悲しんでいる時には、つい信じてしまうものなので、注意してください。
仏教に限らず、どんな宗教でも、法外なお金を要求する時点で、その人間はまがい物と判断してください。
本当に徳がある方は、そんなことはしないです。
だから、素晴らしい方ほど、経済的にはキツキツの暮らしをしていたりするのですが・・・
ですから、もしあなたが素晴らしい方に出会って、かつ、お金に余裕があるのでしたら、少し多めにお布施を渡してあげてください。
あくまでも、無理がない範囲内で・・・です。
8/11(四十九日から1週間後)追記
1週間が経過して、さらにペットロスの痛みが和らいでいます。
その理由の一つに、時間を追うに連れて、チビの存在をリアルに感じるようになってきているからです。
チビがいると無理に感じようとするまでもなく、ふとした時に、『あれ?チビ?』と存在を感じます。
生前、気がついたら後ろにいて、私のほうを見ていた(オヤツや散歩を催促していた)のと一緒の感覚です。
チビが来たんだなと、自然に笑みがこぼれてしまうぐらいです。
2日前、初めてチビの夢を見ました。
チビが天国に行ったというのは分かっている前提で、夢のなかでも、チビが会いに来てくれたという認識で、向き合っています。
いつものように、私はチビの頭・顔をなでて、その間、チビは私の顔を舐めてくれます。
舐められているという感覚や口のニオイなど、リアル過ぎるほどリアルで、こんな現実感のある夢は生まれて初めてみました。
しかも、自分で夢だとも分かっており、それも初めての感覚です。
朝、起きた時、チビと再会できたという嬉しさでいっぱいで、これからも、たびたび会えるんだなと思っています。
だから悲しくないんでしょうね。
チビが息を引き取った場面を思い返しても、そこから病気が治って・・・みたいな、ストーリーが続く感じです。
チビとの暮らしは、あれで終わっていない。今も続いている。
この感覚がペットロスの痛みを癒やしてくれているんだと思います。
ですから、正確に言えば、もはや、ロスという言葉が当てはまらないですね。
失っていないのですから・・・
もちろん、これはあくまでも今の心境で、あるとき、突然、悲しみに襲われることもあるかもしれません。
でも、そんなことを繰り返しながらも、ますます良くなっていくと思いますし、こんなことを繰り返しているうちに、私も天国に行く時がくるのかなと思っています。
私の場合、天国に行けるだけの人間かどうか分かりませんが、そこはチビに引き上げてもらいます(笑)
それを楽しみにして、残りの人生を満喫していきます。
はじめまして。佐藤と申します。
今日の午後からお世話になる長福寺さんのことをネットで調べていたところ、こちらにたどり着きました。
昨日、21年4ヶ月を一緒に過ごした愛猫が旅立ちました。最期の瞬間に立ち会え、その点においてだけは幸せだったのですが、あまりにも辛くてどうしたらいいか分からず(たまに呼吸も苦しくなります)、途方に暮れています。
この後、火葬が終わり、お骨を持ち帰ったらまた喪失感と胸の痛みに向き合う日々が始まるのだろうと思いますが、ブログ、参考にさせていただきますね。
「悲しみは君からの最後の贈り物」本当につらい時に思い出したら乗り越えられそうな言葉ですね。ありがとうございます。
佐藤さん、お辛い状況のなか、メッセージを頂きありがとうございます。チビの存在が少しでもお役に立てたのかなと思うと有り難いです。
同じ心境を味わった人間としては、安易にお言葉をかけることはできませんが、たくさん泣いてあげてください。それが供養になるのかなと思います。
また、佐藤さんご自身、お疲れだと思いますので、ゆっくり休まれてください。くれぐれも無理をなさらずに。
以前、コメントさせていただきました、佐藤と申します。まさかお返事をいただけるとは思わず、返信に気付くのが遅れ、お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。その節は温かいお言葉をありがとうございました。
愛猫の死後、急に仕事が忙しくなり、ある意味救われつつも(仕事に集中している間は辛さを忘れられたので)、仕事を離れた途端に襲ってくる寂しさ悲しさ、過呼吸にしばらく苦しめられましたが、どうしようもなく辛い時「悲しみは君からの最後の贈り物」という言葉をいつも(自分に言い聞かせるように)思い出していました。
先日、無事、長福寺さんで四十九日法要も終え、だいぶ心の整理もついたところです。なんだか少しばかり不思議な体験もあり。
そしてこの度、縁あって新しい猫を迎えることになりました(なりそうです)。
君が家に来る前、気が強くてわがままで扱いづらいところもあったけど、とっても甘えん坊で優しい美人なお姉さん猫がいたんだよ、長生きさんだったんだよ、と彼女(メスだったので)の話をたくさんしてあげながら、新しい家族と暮らして行けたらと思います。
温かいお心遣い、ありがとうございました。この場をお借りし、心から感謝申しあげますm(_ _)m
新しいご縁があったということで、本当に良かったです!佐藤さんのような飼主さんであれば、あたらしい猫ちゃんも、きっと幸せになれると思います。
このブログでは書いていませんが、私もチビとの別れからは3ヶ月後に豆柴を引き取って、また2匹と過ごすことになりました。噛み癖がついていた保護犬なので、最初は噛まれまくって、かなり苦労しましたが、今はだいぶ穏やかに過ごせるようになりました。チビに似ているのでガマンできず引き取ってしまいましたが、犬の飼い方を根本から学び直すキッカケになり、チビから宿題をもらったなと思いながら、日々勉強しつつ楽しい時間を過ごしています。
佐藤さんも、ぜひ新しい家族との生活を楽しんでください。